2015年6月22日月曜日

宮の変遷

時の記念日のご紹介に際し、滋賀県大津市の大津宮が出て参りましたので、少し宮(皇居)のご紹介をしたいと思います。
大宰府が白村江の戦いの敗北によって現在の場所になる際の都は飛鳥でした。都の変遷は飛鳥宮(明日香村)→難波宮(大阪)→飛鳥宮(明日香村)→大津宮(大津市)→藤原京(橿原市)→平城京(奈良市)へと行われることになります。これまでに多くの遷宮が行われた背景には、天皇が変わることにより政治を司る場所を替える必要があったことや、当時の木造建築の耐久が遷宮を余儀なくさせていたなど諸説あります。ともあれ、日本最古の中国式の都市は藤原京(橿原)、大宰府と言われておりこの双方が日本の都の原型と言えるのではないでしょうか。
前ブログで書きましたが、大津は大宰府と同じく白村江の戦いに敗北後造られました。大津宮が都市形成をされた京であったか、天皇の住まいとしての宮であったかははっきりとしていません。時の帝、天智天皇による指示で造営された街として、ある意味姉妹都市??みたいな印象を受けます。大津宮は天智天皇から天武天皇に変わるとともに再び遷都され、短い期間での都でありました。
一方大宰府は、遠の朝廷として繁栄を続けますが、これまた衰退してしまいます。
街は、時の流れで変化します。まさに『盛者必衰』と言えましょう。



飛鳥寺(明日香村)
琵琶湖(大津市)
京都(平安京)
このブログでは京都についてはあまり触れていませんね。
 

                                          文化推進室 日下部
















2015年6月13日土曜日

時の記念日

6月10日「時の記念日」に、大宰府政庁跡地にて「時の記念日」行事が開催されました。
時の記念日が6月10日になった理由は、671年新暦6月10日に近江大津宮にて漏刻(水時計)が造られたことに由来します。
当時の帝は天智天皇で、この太宰府にも縁深い天皇です。663年白村江の戦いに敗北した日本は、九州の玄関口である大宰府を現在の内陸に移動させます。これと同じく、天皇の住まいである宮も飛鳥から大津へと移動させました。大津遷都には諸説あり、白村江の敗北だけが理由であるかは定かではありませんが、時同じくして誕生したのは事実です。
天智天皇が造られた漏刻は大津で始めて用いられ、この大宰でも置かれたと伝えれれています。言わば、日本最古の時計は、大津と大宰府であったということです。
さて、大宰府ではこの時の記念日行事を辰山会さんが太宰府市民遺産として守っておられます。
朝6時10分に政庁跡に集合し、記念行事が開催されます。朝早くにも関わらず、多くの皆様がお越しになっておりました。さすがは歴史の街、太宰府ですね。
こうした活動が市民遺産に認定され、地域住民の皆様で守り引き継がれている。それは素晴らしき伝統です。



時の記念日行事の様子①


舞の披露


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