2015年3月19日木曜日

太宰府市景観・市民遺産会議報告

2月上旬に「太宰府市民遺産会議」に参加させて頂きます!!との投稿をさせて頂いておりました。実際に参加してみると、なんと多くの方がお越しで、座る席もないほどの盛況でした。

前回と同じ書き出しながら、皆さんは「太宰府市景観・市民遺産会議」をご存じでしょうか?
市民遺産会議さんのHPを見ますと、『市域に目を転じると、先人たちが培ってきた多くの文化遺産が、時の流れに身を任せるようにひっそりと佇み、人々の往来、生活とともに寄り添っています。太宰府を形づくる人・モノ・風景の中から、未来の市民に守り伝えていきたい文化遺産に光をあて、守っていきたいという自立的な活動とともに市民に提案し、多くの市民の納得のもと認められるのが「太宰府市民遺産」です。この納得するための提案と論議を交わす場、そして出来ることを持ち寄る場が太宰府市景観・市民遺産会議です』とあります。
今回の第5回景観・市民遺産会議においては、2件の市民遺産が認定されました。これまでの認定遺産には、「太宰府の木うそ」や「万葉集つくし歌壇」などがあります。
古都大宰府には、京や奈良に匹敵する歴史が存在します。そして、市民遺産たる提案材料も沢山あります。これは、すごいことです。どの市区町村さんも歴史があり、守り伝えることはありますが、太宰府は歴史に裏付けされた文化財が沢山存在します。古都として胸を張れる、そんな歴史があり、文化があります。
私達メモリアルパークもそんな太宰府にて事業をさせて頂くことができ光栄です。
太宰府市の皆さんが育まれている歴史と文化が、ここで働く私たちにも伝わり、郷土への関心に繋がっています。


景観・市民遺産会議の様子

                                         文化推進課 日下部

2015年3月17日火曜日

大宰府の終焉

12世紀になると、大宰府は荒廃していたことが予想されます。平清盛が大宰大弐になると、日宋貿易の拠点として博多が栄えることになり、政治的中心は海側へ移動しました。
元寇後には、九州統括拠点として「鎮西探題」が設置され、行政、訴訟、軍事を管轄します。ここに大宰府の統治機能は全て終焉をむかえ、海に広がる「博多文化」が花開きます。
どの都も、時代の流れとともに繁栄し荒廃します。奈良・平城京も京・平安京も時代の流れとともに首都機能を失いました。京に関しては、長い時代「帝」がおられた場所ですので、御所や寺社仏閣が多く残っています。それに比べると太宰府は、鎌倉時代から今日に及ぶ長い時の中で失われたものが多くあることが残念でなりません。
大宰府政庁跡地はその大部分が保存され、今日に至っています。復元が可能であれば、その雄姿を見てみたいと思うのは、私だけでしょうか?
ざっくりでしたが、太宰府の歴史を振り返ってみました。しかし、歴史的なものはこれに限ったものではありません。

次回より、太宰府の名所をご案内します。写真も取り入れご紹介していきますので、よろしくお願いします。

                                      文化推進課 日下部