2014年12月21日日曜日

大宰府の成り立ち

大宰府とは、アジア(中国・朝鮮)への外交拠点として置かれた役所・地方官衙(チホウカンガ)が、その名の由来となっています。当初は、この福岡だけではなく吉備や播磨にも「大宰府」は存在していました。
これらが時代の流れとともに政治的重要性を失い、残ったものが福岡の「大宰府」です。朝鮮への兵站基地として博多湾近くにあった那津宮家(ナノツノミヤケ)が「筑紫大宰」として発展し、役所としての基礎ができていきます。

では、大宰府は何故現在の場所になったのか??
次回、663年「白村江の戦い」です。

                                              総務部 日下部